『子どもを信じること』
2015年11月26日 家族・子育て
考えてみると、あの人に信用された覚えが、ない
あと、ものごころついてから、抱きしめられた記憶もない
なにか言うと
「ほんとかしら?」
と、唇を歪めて冷笑しながら眉をひそめる顔は
ほとんどわたしにしか向けられなかったけど
その表情は、高齢者となったあの人の顔に
ある時からうっすら刻まれるようになった
ちょっと、般若の面っぽくもある
自分はああいう顔になるようなことはしたくない
なにしろ、わたしが教会学校の友達の家に
遊びに行っていいかと聞けば
まるでその友達まで信用できないかのように
「大丈夫かしら?」
とその表情でわたしに言い、向き直って
「ねえ、あなた、行かせてもいいと思う?」
と、わたしの父に却下を前提に言い募ったりしていたのだ
父が呆れて
「大丈夫でしょ」
と言ったので遊びには行けたが
その友達はあの人のお眼鏡に叶わなかったらしく
引っ越してからは手紙を隠されたり
電話を取り次いでもらえなかったりで
連絡を絶たれ、いつのまにか疎遠になった
そういうことをされ続けたことが
けっきょく、わたしが子どもを持たなかった
いちばんの原因かも、しれない
あと、ものごころついてから、抱きしめられた記憶もない
なにか言うと
「ほんとかしら?」
と、唇を歪めて冷笑しながら眉をひそめる顔は
ほとんどわたしにしか向けられなかったけど
その表情は、高齢者となったあの人の顔に
ある時からうっすら刻まれるようになった
ちょっと、般若の面っぽくもある
自分はああいう顔になるようなことはしたくない
なにしろ、わたしが教会学校の友達の家に
遊びに行っていいかと聞けば
まるでその友達まで信用できないかのように
「大丈夫かしら?」
とその表情でわたしに言い、向き直って
「ねえ、あなた、行かせてもいいと思う?」
と、わたしの父に却下を前提に言い募ったりしていたのだ
父が呆れて
「大丈夫でしょ」
と言ったので遊びには行けたが
その友達はあの人のお眼鏡に叶わなかったらしく
引っ越してからは手紙を隠されたり
電話を取り次いでもらえなかったりで
連絡を絶たれ、いつのまにか疎遠になった
そういうことをされ続けたことが
けっきょく、わたしが子どもを持たなかった
いちばんの原因かも、しれない
『白戸家のお父さんのヒミツ ソフトバンク家族CMのファンブック!』
2015年11月12日 家族・子育て
犬のいる家に行こう、と言われて
あの人に連れられて行った
広い部屋の中に犬のケージがあって
でもおとなしい白い大きめの犬は
ケージには入らず、部屋で触らせてくれた
その家の子どもは同じ小学校の下級生
ほとんど面識はなかったはず
その家から帰ってから
「あの家の◯◯ちゃんは、宿題、全部、学校でやってきちゃうんですって! おうちで宿題やってないから、お母さんが聞いたら、そうなんですって」
と言われた。
「あなたもそういうふうにできないの?」
と、言われたかどうか覚えていないが
そういう意味合いで言っていることは、わかった
◯◯ちゃんがいいなら
◯◯ちゃんを養女にすればいいのだし、
◯◯ちゃんみたいにできる子にするよう
育て方を教わればいいのだし、
この人は何を言っているんだろう
そう思っていた
ほかにも
「◆◆さんちの子みたいに」
とか
「▽▽さんみたいに」
など、いろんなうちの子を引き合いに出された
それは、少しずつ確実に
「わたし」というものを
削り取っていった
なにしろ、自分でないものになれ、
と、言われ続けているのだから
だから、そんなことをしておいて、あの人が、
「子どもたちは何者にもなれなかった」
と、子どもの努力が足りなかったからだと
思っているらしいのを見ると
「あたりまえじゃない?」
と、苦笑しか出ない
あの人に連れられて行った
広い部屋の中に犬のケージがあって
でもおとなしい白い大きめの犬は
ケージには入らず、部屋で触らせてくれた
その家の子どもは同じ小学校の下級生
ほとんど面識はなかったはず
その家から帰ってから
「あの家の◯◯ちゃんは、宿題、全部、学校でやってきちゃうんですって! おうちで宿題やってないから、お母さんが聞いたら、そうなんですって」
と言われた。
「あなたもそういうふうにできないの?」
と、言われたかどうか覚えていないが
そういう意味合いで言っていることは、わかった
◯◯ちゃんがいいなら
◯◯ちゃんを養女にすればいいのだし、
◯◯ちゃんみたいにできる子にするよう
育て方を教わればいいのだし、
この人は何を言っているんだろう
そう思っていた
ほかにも
「◆◆さんちの子みたいに」
とか
「▽▽さんみたいに」
など、いろんなうちの子を引き合いに出された
それは、少しずつ確実に
「わたし」というものを
削り取っていった
なにしろ、自分でないものになれ、
と、言われ続けているのだから
だから、そんなことをしておいて、あの人が、
「子どもたちは何者にもなれなかった」
と、子どもの努力が足りなかったからだと
思っているらしいのを見ると
「あたりまえじゃない?」
と、苦笑しか出ない
『贈る日のリボン―リボンを結んだラッピングの本』
2015年11月5日 家族・子育て
あの人は、趣味がこうじた内職で、リボンやラッピング用品をよく使っていた。
あるとき、地方に越してすぐの小学生のころ、東京の秋葉原まで来て、いきなり四谷のリボンの問屋にお使いに行け、と言われた。
なんでそんなことをしなければならないのかわからず、というか自分の買い物は自分ですればいいじゃないかとか、間違ったものを買ってきたと言ってまだ叱られるのもいやなので、一緒に行けばいいじゃないかなどと抗弁したものの、またヒステリックにいろいろ言われて、半べそかきながら出発した。
ところが、着いてみたら問屋は休みだったのである。
さあ、ウソをついているのだろうと叱られるのか、休みでリボンが変えなかった八つ当たりをされるのか、もう怯えは最高潮である。
が、秋葉原に戻って
「休みだった……」
と言ったところ、意外にも
「あ、そうだったわね」
で、終わった。
もっと成長してから思ったのだが、子どもを一人で買い物に行かせている隙に、あの人は浮気でもしていたんではなかろうか。そうでなければ、あのあっさりした物言いは、ありえない。
あるとき、地方に越してすぐの小学生のころ、東京の秋葉原まで来て、いきなり四谷のリボンの問屋にお使いに行け、と言われた。
なんでそんなことをしなければならないのかわからず、というか自分の買い物は自分ですればいいじゃないかとか、間違ったものを買ってきたと言ってまだ叱られるのもいやなので、一緒に行けばいいじゃないかなどと抗弁したものの、またヒステリックにいろいろ言われて、半べそかきながら出発した。
ところが、着いてみたら問屋は休みだったのである。
さあ、ウソをついているのだろうと叱られるのか、休みでリボンが変えなかった八つ当たりをされるのか、もう怯えは最高潮である。
が、秋葉原に戻って
「休みだった……」
と言ったところ、意外にも
「あ、そうだったわね」
で、終わった。
もっと成長してから思ったのだが、子どもを一人で買い物に行かせている隙に、あの人は浮気でもしていたんではなかろうか。そうでなければ、あのあっさりした物言いは、ありえない。
スクール水着のおもひで
2015年10月31日 家族・子育て
おなかが弱い子どもだった。
いや、病弱なので、おなかだけではなかったのだが。
それなのに、水泳教室に通わされていた。
あの人は、自分は泳げないし自転車にも乗れないのに、子どもにはヒステリックにそれを強いた。
その水泳教室を辞めることになったきっかけは、おなかを下して、大を漏らした状態で帰宅したからだと思われる。
駅のトイレに入ったものの、間に合わなかったのだ。そう怯えながら伝えたところ、「なんで駅員さんに言わないの!」と、やはりヒステリックに怒られた。
まず、子どもを労わるということのない人であった。
大人になってから労わるそぶりが見られることもあったが、それはだいたい「自分より幸せにならなくってよかった」という心情からのものであるように思える。
そういうときはだいたい、意地悪げに眉がひそめられ、唇の端が歪んでいるんである。
いや、いた、と言うべきか。なにしろその眉と唇の造作が、今ではほとんど刻み込まれているのだから。
精神は、顔に出るものなのだなあと、それを見るたびに思う。
いや、病弱なので、おなかだけではなかったのだが。
それなのに、水泳教室に通わされていた。
あの人は、自分は泳げないし自転車にも乗れないのに、子どもにはヒステリックにそれを強いた。
その水泳教室を辞めることになったきっかけは、おなかを下して、大を漏らした状態で帰宅したからだと思われる。
駅のトイレに入ったものの、間に合わなかったのだ。そう怯えながら伝えたところ、「なんで駅員さんに言わないの!」と、やはりヒステリックに怒られた。
まず、子どもを労わるということのない人であった。
大人になってから労わるそぶりが見られることもあったが、それはだいたい「自分より幸せにならなくってよかった」という心情からのものであるように思える。
そういうときはだいたい、意地悪げに眉がひそめられ、唇の端が歪んでいるんである。
いや、いた、と言うべきか。なにしろその眉と唇の造作が、今ではほとんど刻み込まれているのだから。
精神は、顔に出るものなのだなあと、それを見るたびに思う。
『家なき子』 [DVD]
2015年10月29日 家族・子育て
よく、家から出されていた。
記憶にあるいちばん古い、家から出された日は、泣いていると周りの家の子が
「どうしたの?」
と寄って来て、いつの間にか遊んでいたので、あの人の期待するような罰にはならなかった。
お客さんが来てる時に家から出されて、本の虫だったので、図書館に行ったら休館日で、どこか開いている窓がありはしないかと、塀を乗り越えて裏庭に回ろうとしたものの、ワンピースにかぎ裂きを作ったことがあった。
それはさすがに悪いな、と今でも思うのだが、それに関して叱られた記憶がない。
その日じゅうには気付かれずに叱られなかったのか、体罰込みでひどく叱られたのが恐ろしくて記憶を消したのか。
記憶にあるいちばん古い、家から出された日は、泣いていると周りの家の子が
「どうしたの?」
と寄って来て、いつの間にか遊んでいたので、あの人の期待するような罰にはならなかった。
お客さんが来てる時に家から出されて、本の虫だったので、図書館に行ったら休館日で、どこか開いている窓がありはしないかと、塀を乗り越えて裏庭に回ろうとしたものの、ワンピースにかぎ裂きを作ったことがあった。
それはさすがに悪いな、と今でも思うのだが、それに関して叱られた記憶がない。
その日じゅうには気付かれずに叱られなかったのか、体罰込みでひどく叱られたのが恐ろしくて記憶を消したのか。
『夜はやさし』(下) (角川文庫)
2015年10月24日 家族・子育て
耳を切られた話。
小学校低学年のころ、入浴中にあの人に髪を切られていた。あるとき、あの人の手が滑って、耳が切れた。当然、痛いし、入浴中で血の巡りがよくなっているので、よく出血して怖い。怖くて泣いたら
「泣くともっと手が震えて切れるよッ!」
と、怒鳴られ、しゃくりあげながら痛みをがまんした。あの人は散髪の続きをした。
あの人が謝ることがないことはわかってはいたが、まずこういうときは、傷の心配をするものではないかと子供心に思った。
耳を切られたあとは、今も触るとかすかに盛り上がっている。
小学校低学年のころ、入浴中にあの人に髪を切られていた。あるとき、あの人の手が滑って、耳が切れた。当然、痛いし、入浴中で血の巡りがよくなっているので、よく出血して怖い。怖くて泣いたら
「泣くともっと手が震えて切れるよッ!」
と、怒鳴られ、しゃくりあげながら痛みをがまんした。あの人は散髪の続きをした。
あの人が謝ることがないことはわかってはいたが、まずこういうときは、傷の心配をするものではないかと子供心に思った。
耳を切られたあとは、今も触るとかすかに盛り上がっている。
『夜はやさし』(上) (角川文庫)
2015年10月22日 家族・子育て
わたしは昔から、とてもよく寝る。10時間は寝る。
加齢したら、寝られなくなるかと思っていたけれど、あまり変わらない。
なぜだろうと思っていたが、これはいわゆる「寝逃げ」というものが、習慣として身体に染み付いてしまったのではないかとさいきんは思っている。
眠っている間だけは、あの人の攻撃に遭わずに、また、あの人の攻撃に遭っているひとを見ずにすんだから。
耳を切られた日も、きっと眠りはわたしに優しかったと思う。
加齢したら、寝られなくなるかと思っていたけれど、あまり変わらない。
なぜだろうと思っていたが、これはいわゆる「寝逃げ」というものが、習慣として身体に染み付いてしまったのではないかとさいきんは思っている。
眠っている間だけは、あの人の攻撃に遭わずに、また、あの人の攻撃に遭っているひとを見ずにすんだから。
耳を切られた日も、きっと眠りはわたしに優しかったと思う。
『ケーキ やけました』 (講談社の創作絵本)
2015年10月15日 家族・子育て コメント (2)
あの人はミュンヒハウゼンなんとかもあったのだろうか。
病気の時は甲斐甲斐しかった。
育児の教科書に載っていそうな、
りんごのすりおろしだの、
梅干おかゆだの、
チキンスープだの、
調理師の沽券にかけて、ということもあるのか、作ってくれた。
でも大人しく寝ていないと、熱があっても叩き起こして
学校に遅刻登校させて、結局学校でリバースして帰宅、とかあったな。
たぶん、自分が支配できてる感が得られるかが基準なんだと思う。
病気のとき以外の料理では、よくケーキを焼いていた。
この木版画の絵本の表紙のような、焼きっぱなしで美味しいケーキ。
そういう「いいこと」が2%くらい、あるのが
こちらがあちらを疎遠にしている罪悪感の素なのだろうと思う。
でも、餌と住処を与えて、散歩にも毎日連れていっているからって、
飼い犬を自分の感情の捌け口として、
蹴ったり殴ったりするのが間違っているのと同じことを
わたしはされてきた。独立してから、ついさいきんまでも。
それを思うとやはり、2%の幸福ではあの酷い思い出は打ち消せない。
病気の時は甲斐甲斐しかった。
育児の教科書に載っていそうな、
りんごのすりおろしだの、
梅干おかゆだの、
チキンスープだの、
調理師の沽券にかけて、ということもあるのか、作ってくれた。
でも大人しく寝ていないと、熱があっても叩き起こして
学校に遅刻登校させて、結局学校でリバースして帰宅、とかあったな。
たぶん、自分が支配できてる感が得られるかが基準なんだと思う。
病気のとき以外の料理では、よくケーキを焼いていた。
この木版画の絵本の表紙のような、焼きっぱなしで美味しいケーキ。
そういう「いいこと」が2%くらい、あるのが
こちらがあちらを疎遠にしている罪悪感の素なのだろうと思う。
でも、餌と住処を与えて、散歩にも毎日連れていっているからって、
飼い犬を自分の感情の捌け口として、
蹴ったり殴ったりするのが間違っているのと同じことを
わたしはされてきた。独立してから、ついさいきんまでも。
それを思うとやはり、2%の幸福ではあの酷い思い出は打ち消せない。
『子ども虐待という第四の発達障害』 (学研のヒューマンケアブックス)
2015年10月8日 家族・子育て
前回の日記で書いた父の言葉を
「こんなこと言われた」
と、愚痴のつもりで家庭外で喋ったときの、他人の反応にもびっくりさせられた。
「いいお父さんじゃない」
そう、言われたのだ。
いいお父さん?
自分に心労をかけないでくれ、とだけ言って、ヒステリックに怒鳴られている子どものフォローもしないのが、いいお父さん?
今ならわかるが、普通の家庭では、ふだん、父親役を果たしているよそのお父さんが、あのように言う時は、保身のためではないのだろう。
うちの親は二人とも、親になる能力のない、発達障害なのかもしれない。
「こんなこと言われた」
と、愚痴のつもりで家庭外で喋ったときの、他人の反応にもびっくりさせられた。
「いいお父さんじゃない」
そう、言われたのだ。
いいお父さん?
自分に心労をかけないでくれ、とだけ言って、ヒステリックに怒鳴られている子どものフォローもしないのが、いいお父さん?
今ならわかるが、普通の家庭では、ふだん、父親役を果たしているよそのお父さんが、あのように言う時は、保身のためではないのだろう。
うちの親は二人とも、親になる能力のない、発達障害なのかもしれない。
『グノーシス主義の思想―“父”というフィクション』
2015年10月1日 家族・子育て
母による虐待を、父はどう見ていたのか、というのは、さっぱりわからない
というのも、父は、父として育児に関わったことが、ほとんどないからだ
子どもとの散歩でも、子どもの歩く速度を考えず、登山好きの早歩きでどんどん行ってしまうので、きょうだいたちは走って追いかけていた
一度、二度、母の虐待からかばってくれようとしたことが、あったにはあった
なにかまた大したことでもないのに、母の逆鱗にわたしが触れ、小学校の制服の襟の糊付けを
「もうしない! 自分でやりなさい!」
と、言われ、パッケージに書いてあるやり方をなんとかやろうとしていると
「そんなことくらいで。糊付けしてあげたら」
と、笑いながら言っていた
だが、そのほかは父としてはほとんど存在していない
単なる同居している大人、というところだ
まるでグノーシス主義における、デーミーウルゴスに隠蔽された、ひ弱な真の神のようだ
中学か高校のころ、またぞろヒステリックに母に当り散らされ、うんざりしていると、きょうだいが「お父様が呼んでるって」というので行くと
「胃が痛くなるからお母様に怒られないようにしてくれ」
と言われ、ああ、この家にはほんとにわたしの味方は誰一人いないんだな、と実感した
そして高校のころに、あるアイドル女優の映画を見たかったものの、一人で映画館に行くのは校則で禁止されていたうえ、そのアイドル女優が地味だったせいか、一緒に行きたいという友だちがおらず、父と見に行ったことがあった
タイトルが「青春物語」のように「春」の字が入っていたのだが、帰りにそれをネタに
「将来、あの女優、ポルノ映画に出たりして」
「それで、『ああ、そういえば昔「春」のついた映画に出てた。そのころから…』ってなったりして」
とおもしろそうに言われ、いやな気分になった
今にして思えば、立派なセクハラだし、いじめだ
そんな父は、字を書くのが下手な母の代筆で手紙やFAXを書いてくる
本人が自分の考えを書いてくることもあるが、母の思想を父の字で表したもの、父の思想を父の字で表したもの、どちらも
「なぜ会いに来ないのか」
という恨みがにじみ出ていて、見るのもいやだ
夫はなにかあったとき、「言った言わない」にならないよう、それらの手紙やFAXをデジタル処理して保存してくれている
ありがたい限り
この人がいなければ、わたしはとうに実家と連絡を絶っていただろう
わたし自身はそれでかまわないが、縁を繋いでおきたいあちらは、うすうす、夫のおかげでそうなっていると気付いているようだ
というのも、父は、父として育児に関わったことが、ほとんどないからだ
子どもとの散歩でも、子どもの歩く速度を考えず、登山好きの早歩きでどんどん行ってしまうので、きょうだいたちは走って追いかけていた
一度、二度、母の虐待からかばってくれようとしたことが、あったにはあった
なにかまた大したことでもないのに、母の逆鱗にわたしが触れ、小学校の制服の襟の糊付けを
「もうしない! 自分でやりなさい!」
と、言われ、パッケージに書いてあるやり方をなんとかやろうとしていると
「そんなことくらいで。糊付けしてあげたら」
と、笑いながら言っていた
だが、そのほかは父としてはほとんど存在していない
単なる同居している大人、というところだ
まるでグノーシス主義における、デーミーウルゴスに隠蔽された、ひ弱な真の神のようだ
中学か高校のころ、またぞろヒステリックに母に当り散らされ、うんざりしていると、きょうだいが「お父様が呼んでるって」というので行くと
「胃が痛くなるからお母様に怒られないようにしてくれ」
と言われ、ああ、この家にはほんとにわたしの味方は誰一人いないんだな、と実感した
そして高校のころに、あるアイドル女優の映画を見たかったものの、一人で映画館に行くのは校則で禁止されていたうえ、そのアイドル女優が地味だったせいか、一緒に行きたいという友だちがおらず、父と見に行ったことがあった
タイトルが「青春物語」のように「春」の字が入っていたのだが、帰りにそれをネタに
「将来、あの女優、ポルノ映画に出たりして」
「それで、『ああ、そういえば昔「春」のついた映画に出てた。そのころから…』ってなったりして」
とおもしろそうに言われ、いやな気分になった
今にして思えば、立派なセクハラだし、いじめだ
そんな父は、字を書くのが下手な母の代筆で手紙やFAXを書いてくる
本人が自分の考えを書いてくることもあるが、母の思想を父の字で表したもの、父の思想を父の字で表したもの、どちらも
「なぜ会いに来ないのか」
という恨みがにじみ出ていて、見るのもいやだ
夫はなにかあったとき、「言った言わない」にならないよう、それらの手紙やFAXをデジタル処理して保存してくれている
ありがたい限り
この人がいなければ、わたしはとうに実家と連絡を絶っていただろう
わたし自身はそれでかまわないが、縁を繋いでおきたいあちらは、うすうす、夫のおかげでそうなっていると気付いているようだ
「子ども虐待の諸相」 2015年 10 月号 [雑誌]: 児童心理 増刊
2015年9月26日 家族・子育て
虐待の二番目の記憶は、ピアノの練習。
とにかく怒鳴られ、叩かれるので、ピアノ曲のレコードが流れているだけでも、緊張していた。
運指を間違えると手や竹の物差しで叩かれ、間違えた指を待ち針で刺されていたこともある。
その痕は今もうっすら、指の付け根に残っている。
右利きだったので、やはり間違えるのは左手が多かったからか、左手の人差し指と中指の間に。
神経にでも障ったら、ピアノの上達どころじゃないのに、なぜそんな虐待をしたのか。
それに、ほんとにピアノを上達させたいなら、弾けるあの人がやって見せて、子どものわたしに弾かせればいいのに、そういうやり方はついぞなかった。
何もやり方を教えていないのに「こういうときはどうやるの? どうやるの? ええ?!」と迫ってくる。
これはピアノに限らずなんでもそうで、やり方は教えず、どうやるのか見ていて、失敗すると「そうじゃないでしょ! なにやってるの!」と暴力を振るう。
よくて「~~すればよかったのにぃ」と、さもうれしそうに冷笑する。
そして、うまくいってもたいして褒めない。「あっそ、じゃ、次はこれね」という具合。
今は恐怖のピアノ・レッスンの影響からは卒業したので、ピアノ曲も楽しみとして聞くことができるようになった。
けど大学生くらいまでは、クラシック音楽を聞く基準は「失敗しないかどうか」だった。
もちろん一流どころは失敗が少ないから、自分の鑑賞の仕方が違うというのになかなか気付けなかった。
そして、ジャズのセッションとかは聞く意味がわからなかった。
今も、わかっているかはあやしい。
ちなみに、脳神経学的には何かを習得させる際に脅すと、神経が萎縮して、習得が遅くなるのだそう。つまり、あの人のやり方は、習得にはまったく逆効果だったわけだ。
でも、あの人の夫が単身赴任の欲求不満を、しつけという名の虐待で晴らそうと無意識に思っていたなら、その意味では成功したともいえる。
そのときの気晴らしだけの成功でしかないけれど。
とにかく怒鳴られ、叩かれるので、ピアノ曲のレコードが流れているだけでも、緊張していた。
運指を間違えると手や竹の物差しで叩かれ、間違えた指を待ち針で刺されていたこともある。
その痕は今もうっすら、指の付け根に残っている。
右利きだったので、やはり間違えるのは左手が多かったからか、左手の人差し指と中指の間に。
神経にでも障ったら、ピアノの上達どころじゃないのに、なぜそんな虐待をしたのか。
それに、ほんとにピアノを上達させたいなら、弾けるあの人がやって見せて、子どものわたしに弾かせればいいのに、そういうやり方はついぞなかった。
何もやり方を教えていないのに「こういうときはどうやるの? どうやるの? ええ?!」と迫ってくる。
これはピアノに限らずなんでもそうで、やり方は教えず、どうやるのか見ていて、失敗すると「そうじゃないでしょ! なにやってるの!」と暴力を振るう。
よくて「~~すればよかったのにぃ」と、さもうれしそうに冷笑する。
そして、うまくいってもたいして褒めない。「あっそ、じゃ、次はこれね」という具合。
今は恐怖のピアノ・レッスンの影響からは卒業したので、ピアノ曲も楽しみとして聞くことができるようになった。
けど大学生くらいまでは、クラシック音楽を聞く基準は「失敗しないかどうか」だった。
もちろん一流どころは失敗が少ないから、自分の鑑賞の仕方が違うというのになかなか気付けなかった。
そして、ジャズのセッションとかは聞く意味がわからなかった。
今も、わかっているかはあやしい。
ちなみに、脳神経学的には何かを習得させる際に脅すと、神経が萎縮して、習得が遅くなるのだそう。つまり、あの人のやり方は、習得にはまったく逆効果だったわけだ。
でも、あの人の夫が単身赴任の欲求不満を、しつけという名の虐待で晴らそうと無意識に思っていたなら、その意味では成功したともいえる。
そのときの気晴らしだけの成功でしかないけれど。
『痛くない体のつくり方 姿勢、運動、食事、休養』 (光文社新書)
2015年9月19日 家族・子育て
なにしろ、虐待されていると、ずーっと緊張してきているので
身体にも、変な癖がついてしまうことがあります。
正面から来た人が、すれ違うときに、髪をかき上げようと
腕を動かしただけで、殴られるときのことを、身体が思い出し
びくっとしたり
そもそも、怒られないように、緊張状態でいい姿勢というか
よく見える姿勢をとりがちで、ストレートネックになってしまったり
近年、ようやくそのあたりのお手入れを始めましたが
もしかして昔から病弱だったのも、虐待されるこの世から
消えたかったから、かもしれません。
身体にも、変な癖がついてしまうことがあります。
正面から来た人が、すれ違うときに、髪をかき上げようと
腕を動かしただけで、殴られるときのことを、身体が思い出し
びくっとしたり
そもそも、怒られないように、緊張状態でいい姿勢というか
よく見える姿勢をとりがちで、ストレートネックになってしまったり
近年、ようやくそのあたりのお手入れを始めましたが
もしかして昔から病弱だったのも、虐待されるこの世から
消えたかったから、かもしれません。
『子は親を救うために「心の病」になる』 (ちくま文庫)
2015年9月17日 家族・子育て
この本は、元被虐待児だけではなく
なんらかのかたちで、親との関係がゆがんでいる人
親との関係が結べなかった人
に、ついても書いてあるのですが
もう一冊との症例かぶりもなく
違ったケースの親子関係の問題と
被虐の問題を、照らし合わせて読めるのが
いいところ
自分の場合は、幼稚園お受験が終わったあたりから
虐待が始まったような
おぼろげな記憶
そして、兄弟たちも、虐待されていたので
最初で育てにくい子だから
というわけではなかったんだろうなあ、などと
いろいろ、考えながら読めました
なんらかのかたちで、親との関係がゆがんでいる人
親との関係が結べなかった人
に、ついても書いてあるのですが
もう一冊との症例かぶりもなく
違ったケースの親子関係の問題と
被虐の問題を、照らし合わせて読めるのが
いいところ
自分の場合は、幼稚園お受験が終わったあたりから
虐待が始まったような
おぼろげな記憶
そして、兄弟たちも、虐待されていたので
最初で育てにくい子だから
というわけではなかったんだろうなあ、などと
いろいろ、考えながら読めました
なんだかいろんなバージョンが、あるみたい。
自分が読んだのはどれだか、忘れてしまいました。
この本を読んで、「対決」を試みようとしたけど
「いろいろ理不尽な目に遭わされた」
と言ったら
「子どもにとって親なんて理不尽にしかみえないのよ」
と、切れられ
(あ、やっぱり話が通じないな)
と、引っ込めてしまった思い出が、あります。
なので、本人には、もう伝える気もなくなった思い出を
ここに、記録していこうかと。
さて、最初の虐待の思い出はなにかというと……
自分が読んだのはどれだか、忘れてしまいました。
この本を読んで、「対決」を試みようとしたけど
「いろいろ理不尽な目に遭わされた」
と言ったら
「子どもにとって親なんて理不尽にしかみえないのよ」
と、切れられ
(あ、やっぱり話が通じないな)
と、引っ込めてしまった思い出が、あります。
なので、本人には、もう伝える気もなくなった思い出を
ここに、記録していこうかと。
さて、最初の虐待の思い出はなにかというと……
『消えたい: 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』
2015年9月12日 家族・子育て
ものすごーく、お久しぶりかと思ったのですが
一年経ってなかったのですね
三年くらい、経ってしまった気がするのは
ここが、デジタルな時空間でしょうか
ずーっと、思い出せなかったPWを
急に思い出したので、戻ってきました
ひょんなことから、「被虐うつ」、と、いう状態を知り
その本を読んでみたら
自分が親や周囲や社会となじめない理由が
あまりにもクリアになり、同時にPWを急に思い出したのです
『毒親』本より、こちらの本のほうが
わたしには、向いていたようです
いま、とってもすっきりした気分です
今後は虐待年表みたいな日記になるかもしれません
重かったら、相互リンクは切っちゃってください
一年経ってなかったのですね
三年くらい、経ってしまった気がするのは
ここが、デジタルな時空間でしょうか
ずーっと、思い出せなかったPWを
急に思い出したので、戻ってきました
ひょんなことから、「被虐うつ」、と、いう状態を知り
その本を読んでみたら
自分が親や周囲や社会となじめない理由が
あまりにもクリアになり、同時にPWを急に思い出したのです
『毒親』本より、こちらの本のほうが
わたしには、向いていたようです
いま、とってもすっきりした気分です
今後は虐待年表みたいな日記になるかもしれません
重かったら、相互リンクは切っちゃってください
着想、と言いたいのですが
なかなか、カタチにならず
断片的な妄想の、まま
というのが、いくつもあり
死ぬまでに、一つくらいは
完成、させたいなあ
と、羊のようでありながら
いつのまにかひとかたまりになる
秋の雲を眺めていました
なかなか、カタチにならず
断片的な妄想の、まま
というのが、いくつもあり
死ぬまでに、一つくらいは
完成、させたいなあ
と、羊のようでありながら
いつのまにかひとかたまりになる
秋の雲を眺めていました
栗 (ものと人間の文化史)
2014年11月15日 その他
やはり、文句を言ってほしくて
「イヤゲモノ」、を、送ってきたのだろう
綺麗な絵葉書に記念切手で、お礼と
幼馴染たちと食事会をしたことと
そのなかの一人の幼馴染とその母からの
「よろしく」、だけ伝えたら、ぱったり、反応がなくなった
娘が楽しく旧交を暖めたりしてるのが、気にいらないんである
わかりやすいなあ
ちなみに「イヤゲモノ」、が、届いた翌日には
『明日から○●温泉に夫婦で行ってきまーす
あなたが好きそうな栗のお菓子をみつけたので
今度送ります。お誕生日おめでとう!!』
とかいう、逆撫でするのが目的のFAXが、来た
このFAX、ふつうの育ち方をした人にはイヤガラセだと
なかなか、わかってもらえない
一ヶ月経ちますが、もちろん「栗のお菓子」、などは
送られてきていません(苦笑)
「イヤゲモノ」、を、送ってきたのだろう
綺麗な絵葉書に記念切手で、お礼と
幼馴染たちと食事会をしたことと
そのなかの一人の幼馴染とその母からの
「よろしく」、だけ伝えたら、ぱったり、反応がなくなった
娘が楽しく旧交を暖めたりしてるのが、気にいらないんである
わかりやすいなあ
ちなみに「イヤゲモノ」、が、届いた翌日には
『明日から○●温泉に夫婦で行ってきまーす
あなたが好きそうな栗のお菓子をみつけたので
今度送ります。お誕生日おめでとう!!』
とかいう、逆撫でするのが目的のFAXが、来た
このFAX、ふつうの育ち方をした人にはイヤガラセだと
なかなか、わかってもらえない
一ヶ月経ちますが、もちろん「栗のお菓子」、などは
送られてきていません(苦笑)
あるべき場所に、いるべき人が
2014年11月12日 その他結局、一年ぶりになったけど
いてほしい人に戻ってきてもらえて
わたしがぶっ放したバクダンは
無駄じゃなかったな、と
ちょっと、ちょっとだけ
自分を褒めてもいいかなって思った
いてほしい人に戻ってきてもらえて
わたしがぶっ放したバクダンは
無駄じゃなかったな、と
ちょっと、ちょっとだけ
自分を褒めてもいいかなって思った