『不眠とうつ病 』(岩波新書)
2016年2月7日 家族・子育て
憤りで、眠れない。月に1〜3回くらい、こういう日がある。
憤りの元は、なぜ自分はあんなにも虐待されなければならなかったのか、ということ。
成長過程の子どもの頭というのは、叩くと一回につき、数千の脳細胞が死に、そして復活はしないのだという。ほかの脳細胞がその死んだ脳細胞の分の働きを、担える分は余計に担って働くのだそうだけど、当然、パフォーマンスは落ちる。
わたしは幼稚園に入る前から、ピアノのお稽古という名目で、毎日のように頭を、顔を、肩を叩かれ、どつかれ、脚は蹴られ、演奏を間違えた指は叩かれたり抓られたり待ち針を刺されたりしていた。それはわたしが育って暴力をふるいにくいサイズになるまで、少なくとも5年は続いたと思う。
つまり、あの人は、自分で能力を削いだ人間に、それ以上のパフォーマンスをさせようと無駄な努力をしていたのだ。
ちなみに、なにかを習得させる際に、ヒステリックに叱ったり暴力をふるったりしながら育てると、恐怖によって習得が早まったかのように見えたりもするが、脳内ではシナプスが萎縮していて、習得させようとするものへの苦手意識が学習されてしまうのだという。
たしかに、わたしにとっては中学でピアノのレッスンをしないですむようになるまでは、あれは拷問にかかりに行くのと同じようなものだった。
そして、親同士が暴力をふるったり、ほかのきょうだいが暴力をふるわれたりするのを見せるのも、虐待になるのだという。
あの人が父にヒステリックにあたるのは、わたしもきょうだいも慣れっこだった。あの人は懐かしい笑い話と思っているようだが、こんなことがあった。
翌日が結婚記念日で日曜、教会に家族揃って礼拝に行くことになっていたとき、父がぐでんぐでんに寄って午前様で帰ってきた。正体なく布団ではなく窓際の床に、着替えもせずにうつ伏せになり、寝始めた父に、あの人は積み木の箱を持ち上げ、中身をぜんぶぶつけた。
それでも父が起きないので、積み木を片付け始めたのを、騒ぎで目が覚めたわたしは2段ベッドの上から見ていた。積み木は派手に散らばって、家具の影に隠れて、あの人からは見えないものもあった。それを、わたしやきょうだいは、「まだあそこにあるよ」「あっちにも」と、冷静に指摘したのだ。
親のDVの後片付けを、幼い、ティーンになってさえいない子どもが冷静に手伝う。今にして思えば恐ろしいことだ。それだけ、わたしたちは暴力に慣れ、慣らされてしまっていたのだから。
家族が虐待されるのを見せるのも虐待なら、あの人が自分の成長過程や、結婚してからの理不尽を、ある時期から悪感情のゴミ箱のように語り始めたのも、虐待になるのだろうか。
それから、「今度は誰を恋人にしようかしら」と、暗に、お前の父親との結婚生活はつまらない、ということを言って来ていたのも、それに入るだろうか?
そして、そんなことを言っていたのに、父に女友達からラブレターが来たことを憤りとともにぶつけてきたのも?
そういうことを考えていると、憤りで涙が出、そしてお腹が空いてきて、夜中に起き出して馬鹿食いしてしまう。そして、今度はなかなか消化できず、眠れず、胸焼けとともに目覚めるのだ。
憤りの元は、なぜ自分はあんなにも虐待されなければならなかったのか、ということ。
成長過程の子どもの頭というのは、叩くと一回につき、数千の脳細胞が死に、そして復活はしないのだという。ほかの脳細胞がその死んだ脳細胞の分の働きを、担える分は余計に担って働くのだそうだけど、当然、パフォーマンスは落ちる。
わたしは幼稚園に入る前から、ピアノのお稽古という名目で、毎日のように頭を、顔を、肩を叩かれ、どつかれ、脚は蹴られ、演奏を間違えた指は叩かれたり抓られたり待ち針を刺されたりしていた。それはわたしが育って暴力をふるいにくいサイズになるまで、少なくとも5年は続いたと思う。
つまり、あの人は、自分で能力を削いだ人間に、それ以上のパフォーマンスをさせようと無駄な努力をしていたのだ。
ちなみに、なにかを習得させる際に、ヒステリックに叱ったり暴力をふるったりしながら育てると、恐怖によって習得が早まったかのように見えたりもするが、脳内ではシナプスが萎縮していて、習得させようとするものへの苦手意識が学習されてしまうのだという。
たしかに、わたしにとっては中学でピアノのレッスンをしないですむようになるまでは、あれは拷問にかかりに行くのと同じようなものだった。
そして、親同士が暴力をふるったり、ほかのきょうだいが暴力をふるわれたりするのを見せるのも、虐待になるのだという。
あの人が父にヒステリックにあたるのは、わたしもきょうだいも慣れっこだった。あの人は懐かしい笑い話と思っているようだが、こんなことがあった。
翌日が結婚記念日で日曜、教会に家族揃って礼拝に行くことになっていたとき、父がぐでんぐでんに寄って午前様で帰ってきた。正体なく布団ではなく窓際の床に、着替えもせずにうつ伏せになり、寝始めた父に、あの人は積み木の箱を持ち上げ、中身をぜんぶぶつけた。
それでも父が起きないので、積み木を片付け始めたのを、騒ぎで目が覚めたわたしは2段ベッドの上から見ていた。積み木は派手に散らばって、家具の影に隠れて、あの人からは見えないものもあった。それを、わたしやきょうだいは、「まだあそこにあるよ」「あっちにも」と、冷静に指摘したのだ。
親のDVの後片付けを、幼い、ティーンになってさえいない子どもが冷静に手伝う。今にして思えば恐ろしいことだ。それだけ、わたしたちは暴力に慣れ、慣らされてしまっていたのだから。
家族が虐待されるのを見せるのも虐待なら、あの人が自分の成長過程や、結婚してからの理不尽を、ある時期から悪感情のゴミ箱のように語り始めたのも、虐待になるのだろうか。
それから、「今度は誰を恋人にしようかしら」と、暗に、お前の父親との結婚生活はつまらない、ということを言って来ていたのも、それに入るだろうか?
そして、そんなことを言っていたのに、父に女友達からラブレターが来たことを憤りとともにぶつけてきたのも?
そういうことを考えていると、憤りで涙が出、そしてお腹が空いてきて、夜中に起き出して馬鹿食いしてしまう。そして、今度はなかなか消化できず、眠れず、胸焼けとともに目覚めるのだ。
コメント