外れ親にあたってしまったら、どうすればいいんだろう。学校は時間が過ぎれば終わるけど、血縁関係は終われない。どうしてもあの人の世話をしろ、と言われたら、ここにメモしたことを縷々、あの人に語りかけていこうという昏い思いが、今のここへのモチベーションだったりする。それで、向こうから断りを入れてくれたらなあ。

さてそろそろ時系列的に小学生時代に戻ろう。小学2年と3年のまる2年間、わたしは痩せたNと太ったFの2人組に、ずっと虐められていた。一度、担任に話したが、「先生に言いつけたでしょ?」と、ますます虐めがひどくなっただけだった。別の、聡いクラスメイトに「呼び出されてもいちいち行かなくていいんだよ?」と、言われたけれど、家庭内で虐げられ癖がついているせいか、虐めっ子に強く出られると断れないのだった。

2人組はなぜか1体1になると普通の友だちのように振る舞うのが、わたしにはわけがわからなかった。そのうちの一人のNには、永田町の高級マンションの自宅に何度か連れて行かれ、その帰りにNの父のやはり永田町にあるオフィスに連れて行かれ、アイスコーヒーというものを振る舞われた。わたしはいつも虐めてくるNの自宅にご招待されても、立派な親御さんのオフィスに通されてもまったくリラックスなぞできなかった。

そのせいか、結局はあの人に連絡が行き、永田町駅まで迎えに来るということが何度かあった。普通なら楽しくもなさそうな娘の様子に、なにかおかしいと思うのだろうが、思っていたのかもしれないが、あの人は解決しようとはしなかったようだ。

それは親として、大人として恥ずべきことではないか? と大人になったわたしは思うのだが、以前にここで書いたかもしれないが、あの学校で虐められていた、とその頃の同級生と話していたとき、まるで虐められていた方が悪いかのように、「そうじゃないかと思ってた!」と言い放ったのには、元同級生と顔を見合わせたものだ。

そうじゃないかと思っていたなら、なぜそこに娘を独り、置き去りにしたのか? 今ではこれを含むさまざまな家庭内での虐め、モラハラは、あの人がされたことをわたしに繰り返していたのではないかと思っている。

ちなみにこの独りでの置き去りは、戦争時の疎開の繰り返しだと思う。ただ、あの人は食べ物にも事欠くとか、そういう戦争時、戦後の苦労はまったくしていない。

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