母による虐待を、父はどう見ていたのか、というのは、さっぱりわからない

というのも、父は、父として育児に関わったことが、ほとんどないからだ
子どもとの散歩でも、子どもの歩く速度を考えず、登山好きの早歩きでどんどん行ってしまうので、きょうだいたちは走って追いかけていた

一度、二度、母の虐待からかばってくれようとしたことが、あったにはあった
なにかまた大したことでもないのに、母の逆鱗にわたしが触れ、小学校の制服の襟の糊付けを
「もうしない! 自分でやりなさい!」
と、言われ、パッケージに書いてあるやり方をなんとかやろうとしていると
「そんなことくらいで。糊付けしてあげたら」
と、笑いながら言っていた

だが、そのほかは父としてはほとんど存在していない
単なる同居している大人、というところだ
まるでグノーシス主義における、デーミーウルゴスに隠蔽された、ひ弱な真の神のようだ

中学か高校のころ、またぞろヒステリックに母に当り散らされ、うんざりしていると、きょうだいが「お父様が呼んでるって」というので行くと
「胃が痛くなるからお母様に怒られないようにしてくれ」
と言われ、ああ、この家にはほんとにわたしの味方は誰一人いないんだな、と実感した

そして高校のころに、あるアイドル女優の映画を見たかったものの、一人で映画館に行くのは校則で禁止されていたうえ、そのアイドル女優が地味だったせいか、一緒に行きたいという友だちがおらず、父と見に行ったことがあった

タイトルが「青春物語」のように「春」の字が入っていたのだが、帰りにそれをネタに
「将来、あの女優、ポルノ映画に出たりして」
「それで、『ああ、そういえば昔「春」のついた映画に出てた。そのころから…』ってなったりして」
とおもしろそうに言われ、いやな気分になった
今にして思えば、立派なセクハラだし、いじめだ

そんな父は、字を書くのが下手な母の代筆で手紙やFAXを書いてくる
本人が自分の考えを書いてくることもあるが、母の思想を父の字で表したもの、父の思想を父の字で表したもの、どちらも
「なぜ会いに来ないのか」
という恨みがにじみ出ていて、見るのもいやだ

夫はなにかあったとき、「言った言わない」にならないよう、それらの手紙やFAXをデジタル処理して保存してくれている
ありがたい限り

この人がいなければ、わたしはとうに実家と連絡を絶っていただろう
わたし自身はそれでかまわないが、縁を繋いでおきたいあちらは、うすうす、夫のおかげでそうなっていると気付いているようだ

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