「子ども虐待の諸相」 2015年 10 月号 [雑誌]: 児童心理 増刊
2015年9月26日 家族・子育て
虐待の二番目の記憶は、ピアノの練習。
とにかく怒鳴られ、叩かれるので、ピアノ曲のレコードが流れているだけでも、緊張していた。
運指を間違えると手や竹の物差しで叩かれ、間違えた指を待ち針で刺されていたこともある。
その痕は今もうっすら、指の付け根に残っている。
右利きだったので、やはり間違えるのは左手が多かったからか、左手の人差し指と中指の間に。
神経にでも障ったら、ピアノの上達どころじゃないのに、なぜそんな虐待をしたのか。
それに、ほんとにピアノを上達させたいなら、弾けるあの人がやって見せて、子どものわたしに弾かせればいいのに、そういうやり方はついぞなかった。
何もやり方を教えていないのに「こういうときはどうやるの? どうやるの? ええ?!」と迫ってくる。
これはピアノに限らずなんでもそうで、やり方は教えず、どうやるのか見ていて、失敗すると「そうじゃないでしょ! なにやってるの!」と暴力を振るう。
よくて「~~すればよかったのにぃ」と、さもうれしそうに冷笑する。
そして、うまくいってもたいして褒めない。「あっそ、じゃ、次はこれね」という具合。
今は恐怖のピアノ・レッスンの影響からは卒業したので、ピアノ曲も楽しみとして聞くことができるようになった。
けど大学生くらいまでは、クラシック音楽を聞く基準は「失敗しないかどうか」だった。
もちろん一流どころは失敗が少ないから、自分の鑑賞の仕方が違うというのになかなか気付けなかった。
そして、ジャズのセッションとかは聞く意味がわからなかった。
今も、わかっているかはあやしい。
ちなみに、脳神経学的には何かを習得させる際に脅すと、神経が萎縮して、習得が遅くなるのだそう。つまり、あの人のやり方は、習得にはまったく逆効果だったわけだ。
でも、あの人の夫が単身赴任の欲求不満を、しつけという名の虐待で晴らそうと無意識に思っていたなら、その意味では成功したともいえる。
そのときの気晴らしだけの成功でしかないけれど。
とにかく怒鳴られ、叩かれるので、ピアノ曲のレコードが流れているだけでも、緊張していた。
運指を間違えると手や竹の物差しで叩かれ、間違えた指を待ち針で刺されていたこともある。
その痕は今もうっすら、指の付け根に残っている。
右利きだったので、やはり間違えるのは左手が多かったからか、左手の人差し指と中指の間に。
神経にでも障ったら、ピアノの上達どころじゃないのに、なぜそんな虐待をしたのか。
それに、ほんとにピアノを上達させたいなら、弾けるあの人がやって見せて、子どものわたしに弾かせればいいのに、そういうやり方はついぞなかった。
何もやり方を教えていないのに「こういうときはどうやるの? どうやるの? ええ?!」と迫ってくる。
これはピアノに限らずなんでもそうで、やり方は教えず、どうやるのか見ていて、失敗すると「そうじゃないでしょ! なにやってるの!」と暴力を振るう。
よくて「~~すればよかったのにぃ」と、さもうれしそうに冷笑する。
そして、うまくいってもたいして褒めない。「あっそ、じゃ、次はこれね」という具合。
今は恐怖のピアノ・レッスンの影響からは卒業したので、ピアノ曲も楽しみとして聞くことができるようになった。
けど大学生くらいまでは、クラシック音楽を聞く基準は「失敗しないかどうか」だった。
もちろん一流どころは失敗が少ないから、自分の鑑賞の仕方が違うというのになかなか気付けなかった。
そして、ジャズのセッションとかは聞く意味がわからなかった。
今も、わかっているかはあやしい。
ちなみに、脳神経学的には何かを習得させる際に脅すと、神経が萎縮して、習得が遅くなるのだそう。つまり、あの人のやり方は、習得にはまったく逆効果だったわけだ。
でも、あの人の夫が単身赴任の欲求不満を、しつけという名の虐待で晴らそうと無意識に思っていたなら、その意味では成功したともいえる。
そのときの気晴らしだけの成功でしかないけれど。
コメント