馬鹿にするのもたいがいにしろ、と言いたい
2008年1月18日 exこれはいったい、何の嫌がらせでしょうか。
別名義の日記で
わたしが特によく会話を交わす方を
わざわざ選んだかのように、Eが、近付いています。
なるほど、わたしのこの日記や
別名義の日記にしばらくのあいだ
あしあとを残しまくっていたのは
そういう調べ物だったのですか。
「あ、ほかに相手なり、楽しみなり、見つけたんだ。
じゃあもうぼくが彼女にしたこと、
彼女との対話から逃げ続けたり、
自分が『求められてる』感覚を得るために、
彼女を利用したことは
チャラになったんだ。
考えなくていいんだ」
そういうことにしたいんでしょうか。
そんな虫のいい話、あるわけないでしょう。
ティーカップとソーサーのセット、が、一客あったとして
それが理不尽な扱いで、テーブルから落とされ
ソーサーが、割れた、と、しましょう。
「カップは割れなかったし、
今は紅茶が注がれてるみたいだから、
いいじゃない」
ティーセットを叩き落とした本人、
それが、そもそも人間を
ティーカップのようなモノ扱いするような人間なら
平気でそれくらい言いそうですね。
でも、ソーサーが割れたティーセットは
もうもとのティーセットじゃないんです。
対話を拒否し続けられたあげく
クレーマーの返品のメールみたいな不機嫌で一方的な一通で
わけのわからないまま切り捨てられたわたしも
もとのわたしではありません。
ソーサーのように、自尊心は割れたままです。
割れたソーサーの鋭い欠片は
トラウマになっていて
カップが満たされた今でもたびたび刺さります。
カップが割れていなくて
あたたかい紅茶が注がれていたって
ソーサーのふちに、以前のようになにかを載せたりする
そんな余裕はありません。
ソーサーが割れた大元が視界にちらちらして
わたしがソーサーに載せられない形のないモノを
かすめとって行くなら、余計です。
Eは、自分が人間としてではなく利用した相手なら
何度でもそんなふうに利用していい、
とでも思っているんでしょうか?
そしてそれは、
DVを働くモラルハラッサーと
同じ精神構造だと、気付いているのでしょうか?
それともEは、
「カップに紅茶が注げるテーブルは、
自分が大枚はたいて準備してやったのに、
その上でのうのうと紅茶を楽しみやがって。
図々しい」
と、でも思って
嫌がらせしているのでしょうか?
でも、その大枚はたいたテーブルを
使わないまま、しかもテーブルを買う際に
不満があったにも関わらず、それを表にも出さず
こちらからの対話からも逃げ続けて
自らテーブルから離れたのは、Eです。
テーブルやテーブル周りのものを揃える際に
何度も価値観を摺り合わせる機会があったのに
その時には急に黙り込んで
こちらが「どうしたの?」と聞くと
「眠くなった」、などと逃げておいて
何度もこちらから対話を求めたのを全て無視して
やり直せないあとになってから、それらのことを全て
敵意のこもった固まりにしてぶつけてきたのは、Eです。
そんなふうに、自分で駄目にして
自分で手放したテーブルに
あたたかい紅茶の湯気がたっているのを見ての
ひねくれた嫌がらせなのでしょうか、これは。
だとしたら、いったいEは、どこまで人を利用し
ないがしろにすれば気が済むのでしょうか。
ほんとうに、もう
いいかげんに、してほしい…
別名義の日記で
わたしが特によく会話を交わす方を
わざわざ選んだかのように、Eが、近付いています。
なるほど、わたしのこの日記や
別名義の日記にしばらくのあいだ
あしあとを残しまくっていたのは
そういう調べ物だったのですか。
「あ、ほかに相手なり、楽しみなり、見つけたんだ。
じゃあもうぼくが彼女にしたこと、
彼女との対話から逃げ続けたり、
自分が『求められてる』感覚を得るために、
彼女を利用したことは
チャラになったんだ。
考えなくていいんだ」
そういうことにしたいんでしょうか。
そんな虫のいい話、あるわけないでしょう。
ティーカップとソーサーのセット、が、一客あったとして
それが理不尽な扱いで、テーブルから落とされ
ソーサーが、割れた、と、しましょう。
「カップは割れなかったし、
今は紅茶が注がれてるみたいだから、
いいじゃない」
ティーセットを叩き落とした本人、
それが、そもそも人間を
ティーカップのようなモノ扱いするような人間なら
平気でそれくらい言いそうですね。
でも、ソーサーが割れたティーセットは
もうもとのティーセットじゃないんです。
対話を拒否し続けられたあげく
クレーマーの返品のメールみたいな不機嫌で一方的な一通で
わけのわからないまま切り捨てられたわたしも
もとのわたしではありません。
ソーサーのように、自尊心は割れたままです。
割れたソーサーの鋭い欠片は
トラウマになっていて
カップが満たされた今でもたびたび刺さります。
カップが割れていなくて
あたたかい紅茶が注がれていたって
ソーサーのふちに、以前のようになにかを載せたりする
そんな余裕はありません。
ソーサーが割れた大元が視界にちらちらして
わたしがソーサーに載せられない形のないモノを
かすめとって行くなら、余計です。
Eは、自分が人間としてではなく利用した相手なら
何度でもそんなふうに利用していい、
とでも思っているんでしょうか?
そしてそれは、
DVを働くモラルハラッサーと
同じ精神構造だと、気付いているのでしょうか?
それともEは、
「カップに紅茶が注げるテーブルは、
自分が大枚はたいて準備してやったのに、
その上でのうのうと紅茶を楽しみやがって。
図々しい」
と、でも思って
嫌がらせしているのでしょうか?
でも、その大枚はたいたテーブルを
使わないまま、しかもテーブルを買う際に
不満があったにも関わらず、それを表にも出さず
こちらからの対話からも逃げ続けて
自らテーブルから離れたのは、Eです。
テーブルやテーブル周りのものを揃える際に
何度も価値観を摺り合わせる機会があったのに
その時には急に黙り込んで
こちらが「どうしたの?」と聞くと
「眠くなった」、などと逃げておいて
何度もこちらから対話を求めたのを全て無視して
やり直せないあとになってから、それらのことを全て
敵意のこもった固まりにしてぶつけてきたのは、Eです。
そんなふうに、自分で駄目にして
自分で手放したテーブルに
あたたかい紅茶の湯気がたっているのを見ての
ひねくれた嫌がらせなのでしょうか、これは。
だとしたら、いったいEは、どこまで人を利用し
ないがしろにすれば気が済むのでしょうか。
ほんとうに、もう
いいかげんに、してほしい…
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